ハッピーナチュラルは、“奇跡のリンゴ”で知られる木村秋則さんが確立した、肥料・農薬・除草剤に頼らない「自然栽培」を通して、地球と植物と人にやさしい「農業」と「食」の発展を応援しています。
丁寧に育てられた栄養たっぷりで美味しいお米や、果実、野菜やそれらを利用した食品など、 安心してご家族中で楽しんでいただけるお品をご紹介します。
肥料・農薬・除草剤に頼らない。人にやさしく、地球にやさしく。
「自然栽培とは」
『自然栽培』とは、太陽、空気、水、土壌等、自然界の生態系が持つ物理的・化学的・生物的な相互の仕組みと働きを活かす栽培方法です。
自然に倣(なら)う
山や空き地では、肥料も何もないのに木々が茂り、草が生えています。これは元々、太陽と水、自然界にある酸素や窒素、何億もの微生物など、自然界のあらゆるものを活用しながら、植物が生態系の中で自ら栄養を作り出し自生しているからです。
『自然栽培』はこのようなたくましく自生する植物に倣い、自然界に元々備わっている摂理を生かすし、生態系を壊さないために、土壌や作物に人為的な手をできるだけ加えないようにしています。
なぜ、肥料をやらないのに作物が育つのか?
『硝酸態窒素』(しょうさんたいちっそ)
自然栽培は農薬を使わないこともさることながら、肥料をやらずに栽培することが、他のどの栽培法よりも特徴的です。
では、なぜ肥料をやらないのに作物が育つのでしょうか。植物を育てるHow to本を手に取ると、必ずといっていいほど、次の言葉が出てきます。
●窒素(含まれる元素N)
●リン酸(含まれる元素P)
●カリウム(含まれる元素K)
これらは、植物が育つために大切な3大栄養素と言われています。特に、窒素は種が発芽したあと、葉や茎を生長させるのに大切とされています。 (葉や茎がなければ、光合成ができませんからね)ところで、植物は、窒素をそのまま栄養素として取り込むことができません。窒素はまず、 ごく限られた微生物(根粒菌や放線菌)の活用によって、アンモニア態窒素という形態になります。でもまだ、これだけでは吸収することができません。
自然栽培は農薬を使わないこともさることながら、肥料をやらずに栽培することが、他のどの栽培法よりも特徴的です。
では、なぜ肥料をやらないのに作物が育つのでしょうか。植物を育てるHow to本を手に取ると、必ずといっていいほど、次の言葉が出てきます。
●窒素(含まれる元素N)
●リン酸(含まれる元素P)
●カリウム(含まれる元素K)
これらは、植物が育つために大切な3大栄養素と言われています。特に、窒素は種が発芽したあと、葉や茎を生長させるのに大切とされています。 (葉や茎がなければ、光合成ができませんからね)ところで、植物は、窒素をそのまま栄養素として取り込むことができません。窒素はまず、 ごく限られた微生物(根粒菌や放線菌)の活用によって、アンモニア態窒素という形態になります。でもまだ、これだけでは吸収することができません。
さらに、硝化菌という生物によって、硝酸態窒素という形態にされます。硝酸態窒素は、土壌中にある微量金属と結合して、結晶します。
この結晶を 「硝酸塩」といい、結晶が液体に溶けたものを「硝酸イオン」といいます。
植物は、「硝酸イオン」になって初めて、 水と一緒に根から吸収することができるのです。 吸収された「硝酸イオン」は、体内の酵素や光合成の働きによって、生長に必要なアミノ酸やタンパク質に合成されていくわけです。
ただし、この硝酸態窒素が高濃度になることが、一部で問題視されています。植物は硝酸態窒素が過剰に供給されると、それらを消化しなくてはならなくなり、急激に細胞を大きくして、背丈を伸ばしたり葉を大きく茂らせたりします。 (=いわゆる徒長) ちょうど、人間がカロリーの高い食事を摂りすぎて太ってしまうのと似ています。 メタボ(メタボリック症候群)みたいなものですね。
硝酸態窒素の濃度が高くなった植物を調べると、草丈の割に軟弱です。さらに、多量に生成されるアミノ酸やタンパク質を狙い、虫が集まりやすく なります。だから、農薬が必要になってくるわけです。
「虫がつくのはそれだけ美味しいから」というのは詭弁で、実は 過剰な肥料分が虫を大量発生しやすくしている一因なのではないか といわれています。 実際、バランスが整い安定している自然栽培の作物や圃場にはあまり虫が寄り付きません。自然栽培の圃場では、生態系の範囲内で上手に牽制し合いながら、共生できる分だけの数の虫しかいない、といった様子が見受けられます。
硝酸態窒素を多く取り込みすぎた植物は、病気に弱くなり、早く腐敗しやすくなるといった現象も起こります。冷蔵庫の中で傷んでしまった野菜が、ものすごい異臭を放っているのは、有機物質の腐敗臭ともいえます。
この硝酸態窒素について、欧米では、野菜などに硝酸態窒素の残留濃度基準を3000ppm未満と定めていますが、 日本は硝酸態窒素の残留濃度基準を定めていません。 自然栽培は、この硝酸態窒素を人為的に供給しない(=無施肥)なのです。
自然栽培の作物は肥料分が入っていないわけではなく、自然界の循環の中で生長に必要な養分は過不足なく※蓄えています。
「栽培過程において人為的に肥料分を与えていない」という趣旨が込められていることをお含み置きください。
この結晶を 「硝酸塩」といい、結晶が液体に溶けたものを「硝酸イオン」といいます。
植物は、「硝酸イオン」になって初めて、 水と一緒に根から吸収することができるのです。 吸収された「硝酸イオン」は、体内の酵素や光合成の働きによって、生長に必要なアミノ酸やタンパク質に合成されていくわけです。
ただし、この硝酸態窒素が高濃度になることが、一部で問題視されています。植物は硝酸態窒素が過剰に供給されると、それらを消化しなくてはならなくなり、急激に細胞を大きくして、背丈を伸ばしたり葉を大きく茂らせたりします。 (=いわゆる徒長) ちょうど、人間がカロリーの高い食事を摂りすぎて太ってしまうのと似ています。 メタボ(メタボリック症候群)みたいなものですね。
硝酸態窒素の濃度が高くなった植物を調べると、草丈の割に軟弱です。さらに、多量に生成されるアミノ酸やタンパク質を狙い、虫が集まりやすく なります。だから、農薬が必要になってくるわけです。
「虫がつくのはそれだけ美味しいから」というのは詭弁で、実は 過剰な肥料分が虫を大量発生しやすくしている一因なのではないか といわれています。 実際、バランスが整い安定している自然栽培の作物や圃場にはあまり虫が寄り付きません。自然栽培の圃場では、生態系の範囲内で上手に牽制し合いながら、共生できる分だけの数の虫しかいない、といった様子が見受けられます。
硝酸態窒素を多く取り込みすぎた植物は、病気に弱くなり、早く腐敗しやすくなるといった現象も起こります。冷蔵庫の中で傷んでしまった野菜が、ものすごい異臭を放っているのは、有機物質の腐敗臭ともいえます。
この硝酸態窒素について、欧米では、野菜などに硝酸態窒素の残留濃度基準を3000ppm未満と定めていますが、 日本は硝酸態窒素の残留濃度基準を定めていません。 自然栽培は、この硝酸態窒素を人為的に供給しない(=無施肥)なのです。
自然栽培の作物は肥料分が入っていないわけではなく、自然界の循環の中で生長に必要な養分は過不足なく※蓄えています。
「栽培過程において人為的に肥料分を与えていない」という趣旨が込められていることをお含み置きください。
※「過不足なく」がポイントです。過剰(または不足)による「偏り」に警鐘を鳴らしているのが、自然栽培の考え方です。
放置・放棄ではない
では、「山や空き地のように放っておいてもいいの?」「楽な栽培法なの?」というと、そうではありません。『里地里山』と呼ばれる場所のように、自然栽培の圃場も、自然を損なわない範囲内で、人間の働きかけを通じ、ある程度は環境を整えていく必要があります。
人の手の入らないまったくの自然状態で放置された山は荒廃し、生物多様性はかえって低下しています。それよりもある程度人の手入れが入った里山や雑木林の方が、じつは生態系が豊かに循環しています。やらなさ過ぎるのは放棄(ネグレクト)、やり過ぎても、やらなさ過ぎてもダメなのです。
人間も自然界の一部という謙虚な視点とバランス感覚を持つこと
「自然」という無為の世界と、「栽培」という有為(人為)の世界、この相反する両極のせめぎ合いをどうバランスするか… ここに「自然栽培」の視点があります。そのバランス感覚は、たずさわる人のさじ加減一つにかかっています。木村さんが「まずは心が大事」と仰るのはこのためです。
『自然栽培』とは、“「自然」な「栽培」”なのではなく、“「自然」と「栽培」“という対峙関係であり、この相反する世界の関係性を探るために生まれた造語として、私たちはとらえています。
自然栽培の圃場では、さまざまな生物が生息・生育し、人々の生活文化が育まれ、長い年月を経て、ようやく多義的な空間となっていきます。こうして圃場が長い時間をかけて、より近く自然に寄り添い、対峙関係から調和関係へと融和されていく…わたしたちはそのような姿を『自然栽培』と呼んでいいのではないかと考えています。『自然栽培』はまぎれもなく、私たちが忘れかけていた自然回帰による人間を含めた生き物たちの営みなのです。
『なぜ、肥料をやらないのに作物が育つのか?』は、Blog『木村式自然栽培に夢中』の執筆者様の
ご厚意によりテキスト転載の許可をいただいています。
著作権はBlogオーナー様にあります。
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